ミラノ
ミラノ(伊: Milano [miˈlaːno] ( 概要ミラノは北イタリアに位置し、商業・工業・金融・観光の街として国際的に著名な世界都市である。 1982年に160万7,804人いた人口は、その後の1990年代ごろからの近郊都市へのドーナツ化現象による人口流出の影響で長く減り続けたが、ここ数年はおよそ130万人前後の人口で落ち着いており(2013年時点の人口は132万4,169人)、首都・ローマに次ぐ第二の都市人口を有する。また、近郊を含む都市圏人口は2021年の調査で約499万人であり、イタリアで最大の都市圏を形成している[5]。日本の稚内市とほぼ同緯度に位置するが、最寒月の平均気温はおよそ5℃程度と比較的温暖である。 ミラノ・コレクションなどで知られるように、古くから服飾・繊維産業などファッション関連の産業が盛んな土地柄であり、「ファッションの都」と称される。近年は航空産業や自動車産業、精密機器工業なども発達しており、イタリア最大級の経済地域を形成している。 日本の民間研究所が2016年に発表した「世界の都市総合力ランキング」では、世界31位と評価された[6]。また、アメリカのシンクタンクが2016年に発表した世界都市ランキングでは世界45位と評価された[7]。 地理![]() ミラノはイタリア北部でトリノ、パルマなどの都市とともにポー平原に位置し、南にポー川、北にコモ湖などのあるアルプス山麓が位置する。地形は平坦で標高は122m。 地震分類イタリアの地震リスク階級 (it) では、3 に分類される [8]。 気候ケッペンの気候区分によると、ミラノの気候は温暖湿潤気候(Cfa)に属する。 北緯45度に位置するにもかかわらず、北大西洋海流の影響により、冬季の気温が高い。最寒月である1月の日平均気温が3.2℃、平均最低気温は-0.4℃と、低緯度である北緯34度に位置する伊賀市と同程度の気温である。また、日本の都市と比べると降雪量も少ない。
都市景観![]() 人口統計
現在ミラノの人口はおよそ140万人(ミラノ都市圏はおよそ435万人)で、ローマに続くイタリアで2番目に大きな都市である。ミラノは国際的な都市で、アジア系(おもにフィリピン人、中国人、スリランカ人)、ラテンアメリカ系(おもにペルー人、エクアドル人)や北アフリカ系(おもにエジプト人やモロッコ人)が多い[13]。ミラノはイタリア第一の中華街がある。ミラノはイタリア経済と金融の中心地で、領事館や機関の数も多い。ミラノにはイタリア最多のおよそ2,000人の日本人が在住しており、日本人学校も存在する。ミラノの人口は1900年に50万を超え、1933年に100万、1971年に173万を超えたが、その後人口が減少し2001年にはおよそ125万人だった。 歴史→詳細は「ミラノの歴史」を参照
古代ミラノは古代にはメディオラヌム(メディオラーヌム)と称され、紀元前600年のケルト人の町を元にしている。前222年にローマが征服したが、そのどちらにもMediolanum(平原の真中)と称され、293年から402年まではMailandとも称された。その後はローマ帝国のもとで繁栄した。4世紀、司教アンブロジウスと皇帝テオドシウス1世の時代には西ローマ帝国皇帝の宮殿が置かれ、西ローマ帝国の首都であった。450年ごろ、アッティラに指揮されたフン族の略奪をうけ、539年にはゴート族に破壊されたが、8世紀末ごろに再び繁栄し始めた。 中世中世を通じてミラノは大司教に統治されたが、都市の独立性をある程度保ちながら、下層の封建貴族たちは次第に大司教の世俗的支配から脱していった。東ゴート王国、東ローマ帝国、ランゴバルド王国の時代を過ぎ、11世紀にはそうした貴族たちがミラノを富裕な自治都市へと変化させ、成長の回復と神聖ローマ帝国からの独立を果たした。1162年、ミラノは神聖ローマ帝国のフリードリヒ1世の軍隊に破壊された。しかしすぐに復興し、ロンバルディア同盟を結成して、1176年にはレニャーノの近くでフリードリヒ1世を打ち破った。この勝利でミラノは新しい繁栄の時代を迎えた。1277年、貴族のヴィスコンティ家が、領主のデッラ・トッレ家からミラノの統治権を奪った。 ミラノ公国中世後期とルネサンス時代にはミラノはヴィスコンティ家とスフォルツァ家のミラノ公国になった。1395年にミラノ公の称号を授かった初代ミラノ公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ(1351年-1402年)の時代には繁栄をきわめ、黄金時代を迎え、ヴィスコンティ家の支配は1447年まで続いた。 1450年には軍人フランチェスコ・スフォルツァが権力を握り、ミラノの統治者としての地位を固めた。続いて息子ルドヴィーコは学芸の保護にも熱心でレオナルド・ダ・ヴィンチをミラノに迎えた。しかし、15世紀の北部イタリアの拡張時代後の1500年、フランス軍がこの町を占領。このときレオナルドもミラノを去るがのちに再訪、約20数年の滞在はこの地にミラノ派とよばれる画派を生んだ。スフォルツァ家はフランス、スイス、オーストリアに操られながらも支配を続けた。1535年にスフォルツァ家の血筋が途絶え、ミラノ公国は終焉した。 諸外国の支配イタリア戦争後のカトー・カンブレジ条約(1559年)により、ミラノは神聖ローマ帝国、次いでスペインハプスブルク家の統治下に入った。18世紀初頭のスペイン継承戦争後、1714年のラシュタット条約によってオーストリア・ハプスブルク家に帰属することになった。ナポレオンは、1796年のイタリア戦役 (1796-1797年)でオーストリアの統治者を追い出し、ミラノをチザルピーナ共和国、イタリア共和国 (1802年-1805年)、イタリア王国 (1805年-1814年)の首都とした。1815年、ミラノは、ロンバルド=ヴェネト王国としてオーストリアの手に戻った。 1848年にミラノはイタリア統一運動の中心地となり、短期間だがヨーゼフ・ラデツキーのオーストリア軍を追放した(ミラノの5日間)。1859年の第二次イタリア独立戦争のソルフェリーノの戦いの結果、オーストリアはイタリアに対する影響力を喪失し、フランスの援助を受けたサルデーニャ王国がミラノをオーストリアから奪取した。 イタリア王国1861年にミラノはイタリア王国の一部に編入され、引き続き発展した。 第二次世界大戦では、イタリアが降伏した1943年以降にドイツ軍およびサロ政権の統治下に入ったため、イギリス軍やアメリカ軍をはじめとした連合国軍による激しい爆撃を受けたが、戦後急速に発展して復興をとげた。ミラノは文化的にも戦後のモダン・デザインの発信地として知られ、国際デザイン美術展であるミラノ・トリエンナーレが開催されている。 対外関係姉妹都市・提携都市ミラノは14都市の姉妹都市を有している:
経済![]() 第二次産業工業化学工業と繊維ではイタリアの諸都市をリードし、航空機、イタリア車(自動車)、機械やガラス、皮革、ゴム製品、製薬なども重要な産業である。 陶磁器では、現在ケリング傘下のリチャード=ジノリがある。 第三次産業金融業数多くの金融機関が集まり、イタリアの主要な株式取引所がある。また、毎年4月に国際貿易フェアが開催される。 アメリカのダウ・ジョーンズらの2013年の調査によると、世界35位の金融センターと評価されており、イタリアの都市では1位である[14]。 情報・通信マスメディア
アパレルミラノ・コレクションが開催される地であり、アパレル産業が盛んである。おもなファッションブランドでは、エルメネジルド・ゼニア、プラダ、ヴェルサーチ、アルマーニ、ジャンフランコ・フェレ、ナラカミーチェ、ドルチェ&ガッバーナ、マルニ、ダウンのタバサ、新進の時計ガガミラノなどの創業地であるほか、ヴァレンティノ、モンクレール、レイバンなどがミラノに本社を置く。 トラサルディなどミラノ近郊ロンバルディア州内を創業地とするブランドもあり、また、ミラノから60kmほどのスイス連邦のイタリア語圏、ティチーノ州ルガーノにはボッテガ・ヴェネタの本社機能が置かれている。 1971年にヴァレンティノ・ガラヴァーニがミラノにブティックを開店し本社機能も移転、これを機にイタリアン・ファッションの中心地はローマから徐々にミラノへ移っていくこととなった。 観光![]() 名所・旧跡
観光スポット
文化祭事2015年には「地球に食料を、生命にエネルギーを (Feeding The Planet, Energy For Life)」をテーマにしたミラノ国際博覧会が開催された。 食文化スポーツ2026年に、ミラノとコルティーナ・ダンペッツォの共催でミラノ・コルティナダンペッツォオリンピック・パラリンピックが開催される予定である。 サッカー→詳細は「ミラノダービー」を参照
ミラノでもっとも人気のスポーツはサッカーであり、セリエAに所属するACミランおよびインテル・ミラノは、イタリア国内のみならず世界的にも非常に有名なスポーツクラブである。両クラブともにジュゼッペ・メアッツァ(サン・シーロ)をホームスタジアムとしている。なお、現在は建て替え計画が進んでおり、新スタジアムは2027年をめどに完成を目指す予定となっている。 その他の競技バスケットボールでは、レガ・バスケット・セリエAに所属しているオリンピア・ミラノが存在する。自転車ロードレースでは、クラシックレースの1つとされ、毎年春先に行われているミラノ〜サンレモのスタート地点でもある。さらにグランツールで最初に開催され、イタリアを一周するステージレースであるジロ・デ・イタリアでゴール地点に多く利用されている。 教育大学日本人学校交通空路空港
ミラノ・マルペンサ空港と成田国際空港との間にアリタリア航空が直行便を運航していた。以前は日本航空も直行便を運航していたが、その後撤退しており、現在は日本との直行便は就航していない。2020年度からは全日本空輸が東京国際空港から直行便を開設する予定であったが、COVID-19の影響で開設時期が延期となり、2024年12月3日より開設された(週3運航)。 鉄道
著名な出身者→詳細は「Category:ミラノ出身の人物」を参照
皇帝・教皇
王族・貴族
学者
政治家・軍人
音楽家
芸術家
映画・芸能
スポーツ選手
脚注
関連項目外部リンク
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