横浜市
横浜市(よこはまし)は、神奈川県東部に位置する市。神奈川県の県庁所在地及び人口が最多の市で、政令指定都市である。日本有数の港湾都市・商工業都市でもある[1]。 東京大都市圏(首都圏)に属する。市の人口は約377.2万人で東京23区を除く全国の市区町村としては最多の人口である。市域の過半は旧武蔵国で、南西部は旧相模国鎌倉郡(戸塚区、泉区、栄区、瀬谷区[注釈 2] の全域と港南区、南区、金沢区の一部)。 概要横浜市は東京都心から南南西に約30 kmから40 km圏内にある。東京湾に面し、日米修好通商条約により1859年(安政6年)に開港した横浜港を有する港湾工業都市である。神奈川県のみならず日本最大の基礎自治体である 横浜市の都市機能は中区と西区に集積しており、行政の中心地は横浜開港以来の中心地域である関内地区(中区の関内駅周辺及び桜木町駅周辺)[注釈 3]で、横浜市最大の商業地は相模鉄道(相鉄)による再開発で発展した横浜駅西口を中心とする横浜駅周辺地域(西区南幸・北幸・高島一帯)であり、横浜駅からみなとみらい・北仲通にかけての海岸沿いには超高層ビル群を形成している。太平洋戦争前までは関内地区に隣接する関外地区(伊勢佐木町周辺)が横浜市最大の商業地・繁華街であった。しかし連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による接収解除が1961年まで遅れたため、1970年ごろには再開発が進んだ横浜駅周辺地域にその座を奪われた。新都心「横浜みなとみらい21」エリアは中区と西区にまたがっており、行政の中心である関内地区と商業・交通の中心である横浜駅周辺という2つの中心地(ツインコア)を統合する役割で、横浜港の再整備と都市再開発により作られた。 横浜市では都市再開発が進められており、横浜市内の各地区の結び付きを強化する計画が進行中である。経済活動の中心地であり、繁華街の横浜駅周辺地域は、横浜市政の中心地である関内地区から北北西に約 3 kmの所にあり、両地域間は事実上分断されており、横浜市政は両地区の中間に位置する横浜みなとみらい21地区(桜木町駅周辺)の開発を進めて、横浜都心の一体的発展を進めている。また、横浜都心臨海部(インナーハーバー[2])に位置する東神奈川臨海部周辺(東神奈川駅周辺及び山内埠頭周辺)地区[3]、横浜駅周辺地区、みなとみらい地区、関内・関外地区、山下埠頭周辺地区では長期的な都市の再生計画が進行中で、これらの五地区を連節バスやLRT(次世代型路面電車システム)で結ぶ案も検討されている[4][5]。 横浜市域は広大であり、横浜市政が指定する都心(ツインコア)は、横浜都心(関内・関外地区、横浜みなとみらい21 (MM21) 地区、横浜駅周辺地区[6])[7] と新横浜都心(城郷地区(小机駅周辺地区)、羽沢地区(羽沢横浜国大駅周辺地区)、新羽地区(新羽、北新横浜駅周辺地区)、新横浜地区(新横浜駅周辺地区))[8] である。また、主要な生活拠点(旧:副都心)としては、鶴見駅周辺、港北NT(港北ニュータウン)センター、二俣川駅・鶴ヶ峰駅周辺、戸塚駅周辺、上大岡駅周辺が指定されている[9][10]。港北NTセンターを除く各地区は、JR東海道線、横浜線、京急本線、相鉄本線の鉄道駅を中心として古くから発展してきた街である。特に、新橋駅(後の汐留駅) - 横浜駅(現在の桜木町駅)間を結ぶ東海道本線は日本最古の鉄道路線である。港北NTセンターは、1965年に策定された横浜市六大事業の一つとして、当時の港北区(当時)に計画的に開発された街である。都心(ツインコア)と各主要な生活拠点(旧:副都心)間は、横浜市営地下鉄のブルーラインおよびグリーンライン(横浜環状鉄道)[11]、横浜環状道路を中核とした自動車専用道路によって[12]、計画的に結ばれる予定となっている。 観光地としても人気があり、横浜中華街や山下公園、元町などがある関内地区を筆頭に、横浜みなとみらい21地区や山手地区などが有名である。また、人工海浜の海水浴場を併設する海の公園や、八景島シーパラダイスという水族館もあり、古くからの観光地としては三溪園などがある。食の名物は洋食、横浜中華街の中華料理、崎陽軒のシウマイ弁当、横浜家系ラーメン、サンマーメンなどがある。 市内北東部の鶴見区・神奈川区・中区・磯子区・金沢区などの臨海部を中心に、隣接する川崎市や東京都大田区などとともに京浜工業地帯の一角を成しており、多数の重化学工業の工場や大小様々な事業所が立地している工業都市でもある。2017年度の工業品出荷額では豊田市、川崎市に次いで全国3位である[13]。近年では日産自動車やいすゞ自動車本社の本社移転、部品メーカーの本社・研究開発施設(R&D)といった自動車関連企業の集積が進んでおり、自動車産業都市という新たな側面も持つ[14]。 2010年代以降、首都直下型地震発生の危険性が高まっている。2020年には、今後30年間で震度6弱以上の揺れに見舞われる確率が38%と算出されている[15]。 沿革横浜市域は、南に接する鎌倉に鎌倉幕府が置かれた鎌倉時代から本格的に開発され始めた。江戸時代には江戸幕府が置かれた江戸に近いため、幕府直轄地(天領)や旗本知行地が大部分を占め、藩は小規模な六浦藩(金沢区)のみが置かれた。また、大きな港を持たない鎌倉幕府(鎌倉市)の海の玄関口として六浦湊(金沢区六浦)が、江戸湾(東京湾)内海交通の要衝として神奈川湊(東海道の宿場町である神奈川宿)が、早くから栄えた。江戸時代末期には、神奈川沖、小柴(旧:六浦湊外周部)で締結された日米修好通商条約により「神奈川」を開港場にすることが定められた。実際には神奈川湊の対岸にある当時の横浜村[注釈 4]に新たに港湾施設が建設され、横浜港として短期間に国際港の体裁を整えた。開港以前は横浜村一帯は単なる漁村にすぎなかったが[18]、1859年7月1日に開かれた横浜港は「金港」とも呼ばれ、横浜港開港以降は生糸貿易港、商業港、旅客港として、また工業港として近代的な都市へと急速に発展し、横浜市を日本を代表する国際港湾都市の1つへと発展させる礎となった。欧米から多くの舶来品がもたらされ、神戸港を擁する神戸市とともに欧米文化の発信基地となった。ガス灯やアイスクリームなどは横浜が日本における発祥の地である(「文明開花」も参照)。元来は別々の地域であった「神奈川」と「横浜」ではあるが、横浜市の急速な拡大に伴い、神奈川は現在の神奈川区として横浜市に組み込まれながら一体的な市街地(コナベーション)を形成していった。 1889年4月1日に市制が施行され、横浜市となった[注釈 5]。市域の面積は、市制施行時には横浜港周辺の5.4 km² にすぎなかったが、6次にわたる拡張と沿岸部の埋立てにより437.71 km² (2020年)となっている。1922年には東京市・名古屋市・京都市・大阪市・神戸市とともに六大都市に指定された。1923年に発生した関東大震災では震源により近かったことから東京以上の被害を受け、市街地は壊滅したが震災の復興計画で日本初の臨海公園である山下公園などが建設された[19]。1927年の区制施行で市域は5区に分けられ、周辺町村の合併と区域の再編を経て、行政区の数は18区となっている。市制施行時の横浜市の人口は約12万人だったが、その後は東京都市圏の拡大と東京一極集中の影響で第二次世界大戦中の一時期を除いて増加の一途をたどり、現在では約377万人となった。これは日本の市区町村では最も多く、人口集中地区人口も東京23区(東京特別区)に次ぐ。これは市の面積が大阪市の2倍程度、名古屋市の約1.5倍程度と広大なこと、市内に山地や湖など居住に適さない地形がほとんどないこと、市内全域が東京都心への通勤圏内であるために東京のベッドタウンとして市内の多くが宅地化されていることといった要因によるものである。ただし人口密度は大阪市、川崎市などのほうが高い。1956年には政令指定都市に[20]、1988年には業務核都市[21]、2011年には環境未来都市と国際戦略総合特区に指定され[22]、2012年には横浜駅周辺地区などが特定都市再生緊急整備地域[23] に指定された。 特徴異国情緒溢れる港町幕末に開港された横浜港を擁する港湾都市であり、外国資本が積極的に当地に進出(詳しくは後述)。そのため近代日本において東北地方や関東甲信地方で生産された生糸の輸出を通して有数の外資獲得力を誇った。外国資本の進出とともに、市内には多くの外国商社が立ち並び、英国総領事館やフランス領事館も置かれるなど外国の空気の色濃く香る景観が形成された。横浜港は舶来品の玄関口となり、街中にガス灯などがいち早く導入された横浜は文明開化の中心基地となる。現在でも西洋近代建築の歴史的建造物が多く残され、山手の旧外国人居留地や横浜赤レンガ倉庫などは観光地にもなっている。 関東大震災後は政府による積極的な振興政策により、隣接する川崎市などとともに京浜工業地帯の中核都市となった。第二次世界大戦後は本牧地区など旧市域の広範囲が在日米軍に接収されたが、結果としてジャズなどのアメリカ文化が広まり、隣接する横須賀とともに日本国内におけるそれらの発信地となった。1989年の横浜博覧会 (YES'89) 以降、ウォーターフロント計画の横浜みなとみらい21が本格始動し、歴史的建造物や自然環境に配慮しつつ、高層ビルが立ち並ぶ先進的な街造りが行われた[24]。その中には横浜ランドマークタワーやコスモクロック21、横浜赤レンガ倉庫と言った横浜のランドマーク的建築物も存在する。景観の良さからドラマのロケ地に選ばれることも多くなっており、現代では首都圏的な先進性の中にも自然環境と異国情緒が残る、「お洒落で海が近い街」「近代的な港町」といったイメージを持たれている[25][26]。一方で、これらの港町的なイメージに合致する街は、市制が施行された1889年当時の旧市域(西区や中区の沿岸部)の一部であり、市の大部分は山や丘である。 東京の衛星都市としての横浜横浜市は横浜中心部を核とする県内最大の自治体であると同時に、東京の衛星都市・ベッドタウンとしての側面も強いことが特徴であり[27]、市内の多くは丘陵地の閑静な住宅街である。昼間人口は約342万人と夜間人口に比べ約30万人市外に流出しており、昼間人口に関しては約354万人の大阪市を下回る[28]。2015年度の東京都へ通勤・通学する15歳以上の就業者及び通学者の割合は25.3%であり、いわゆる「横浜都民(神奈川都民)」が多い。2020年国勢調査によると、横浜市の昼夜間人口比率は91.1と[29]、政令指定都市かつ県庁所在地でありながら100を下回っている。郊外の区では首都圏への人口集中によりスプロール化した市街地が散在しており、都市基盤整備が推進されている。青葉区など東急田園都市線沿線の多摩田園都市をはじめとした市内北西部の新興住宅地は、鉄道網も横浜駅を経由しない東京からの放射線が軸となるため、東京都心のベッドタウンとしての性格がさらに強い。2020年の南区の昼間人口の人口比率は74.0であり、横浜市の行政区の中では最も低い[注釈 6][28]。横浜市の人口は約376万人と日本の市区町村の中で最も多いが、東京電力やJR東日本など地域ブロックのインフラ会社やその他関東地方を統括する大企業の本社・関東支社は東京23区に置かれることが多く、また前述の通り通勤・通学時に東京に流出する人口が多いため、夜間人口と比べて業務機能(オフィス)の集積は比較的少ない。実際に、京阪神大都市圏に属する神戸市や京都市が都市雇用圏を形成しているのに対して、横浜市は単独で都市雇用圏を形成するには至っていない。しかし、都市雇用圏の基準となっている通勤通学率が10%以上の地域は横浜市への通勤通学率が高い順に逗子市、鎌倉市、横須賀市、葉山町、大和市、藤沢市、三浦市、綾瀬市、海老名市、茅ヶ崎市、川崎市、そして川崎市の二次圏に稲城市、茅ヶ崎市の二次圏に寒川町があり、2015年の国勢調査の時点での総人口は725万7866人と面積が1000k㎡弱であるにもかかわらず、名古屋都市圏を大きく上回っており人口密度は7,259.1人/k㎡と名古屋都市圏の4倍である。一方で、横浜市の市内総生産(GDP)は14.5兆円[注釈 7]であり、関西地方の中心である大阪市(人口約276万人)21.2兆円[注釈 7]の3分の2ほど、横浜市より140万人ほど人口が少ない名古屋市(人口約232万人)と市内総生産(GDP)が同程度であり、人口比で市内総生産をみると名古屋市のほうが高いことがわかる[30]。 居住区としての人気横浜市内には、大企業の本社や工場が多数存在する商工業の拠点である一方、多くの観光地が存在し、市外の湘南海岸や三浦半島、丹沢山地や箱根山にも1時間程度でアクセス可能など、アウトドアにも利便性がある立地である。青葉区や緑区には東急が開発した多摩田園都市、都筑区には港北ニュータウンといった大規模な新興住宅街が造成され、東京23区と比べて不動産価格も安い事から、居住区としては常に人気上位にあり[31][32]、2018年から2024年に掛けて複数のアンケート調査結果で、2位以下の地区と大差を付けて、住みたい街(駅)ランキングの第1位に輝いている(生活ガイド.com、SUUMO、LIFULLなどのアンケート調査結果)[33][34][35][36][37][38][39][40]。この人気については、全国的に認知され、利便性も高い横浜駅周辺に集中している。しかし西区や中区などの中心部を除けば、基本的に丘陵地帯であり、郊外の区にはスプロールした住宅街も多く、これらの他に内陸工業団地や農地、山林も点在し、多摩田園都市や港北ニュータウンのような区画整理が実施された住宅街も港から離れた丘陵地帯を造成し区画整理していることから、「異国情緒漂うお洒落な港町」という一般的な横浜のイメージとは大きな差がある。 横浜駅は全国最多である6社局の鉄道事業者が乗り入れる一大ターミナルであり、駅周辺には全国有数の規模を誇る繁華街が広がっている。西口には全国百貨店売上高でトップ10に入る横浜髙島屋、東口には開店当時東洋一の店舗面積と開店資金を誇った横浜そごうなどの大手百貨店も存在し、他にもルミネ横浜、JR横浜タワー(NEWoMan横浜、CIAL)、相鉄ジョイナス、横浜岡田屋モアーズ、マルイシティ横浜、横浜スカイビル、横浜ベイクォーターといった駅ビル・ファッションビル・専門店街などの大型商業施設が集積している。駅近辺には広大な地下街や飲食店街が広がり、さらにはJR横浜タワー内のT・ジョイ横浜(シネマコンプレックス)やアソビルなどのアミューズメント施設も充実しており、ヨドバシカメラ、ビックカメラ、エディオンなどの大型家電量販店も存在するため、これらを統合すると多岐にわたる様々なジャンルの店舗が集まっており、衣食住のブランドが完備された便利な環境であるため、人気の要因のひとつとなっている。大学の郊外移転ブーム期に移転してきた大学も多く、さらに専門学校や大手予備校、学習塾、各種資格学校なども集積しているため、学生街の一面もある。 地理![]() ![]() 市域は神奈川県の東部にあたり、東経139度43分31秒(鶴見区扇島)から139度27分52秒(瀬谷区目黒町)、北緯35度35分33秒(青葉区美しが丘西)から35度18分44秒(金沢区六浦南)に位置する[41]。東は東京湾に面し、北は川崎市、西は大和市・藤沢市・東京都町田市、南は鎌倉市・逗子市・横須賀市に接する。市域の面積は神奈川県の約18%を占め、県内の市町村で最も広い。 地形丘陵は、市域のやや西寄りを南北に縦断する。保土ケ谷区・旭区などを流れる帷子川付近を境に、北側が多摩丘陵、南側が三浦丘陵となり、性質を異にする。多摩丘陵側の標高は60mから100mで北に向かって高くなり、三浦丘陵側の標高は80mから160mで南に向かって高くなっており、三浦丘陵側のほうが標高が高く起伏も激しい。鎌倉市最高峰の大平山の尾根筋が横浜市最高地点(栄区上郷町、標高159.4m)となっており、横浜市最高峰の大丸山(金沢区釜利谷町、標高156.8m)や円海山(磯子区峰町、標高153.3m)も三浦丘陵側に位置する。一方、多摩丘陵側は高尾山(緑区長津田町、標高100.4m)が最高で然程高い山はない。 台地は、丘陵の東西に分布し、東側は下末吉台地、西側は相模野台地となる。下末吉台地は鶴見区の地名である下末吉から取られ、標高は40mから60mで鶴見川付近まで続く。本牧付近で台地が海に突き出し、その南側は根岸湾と呼ばれる。横浜駅周辺も幕末まで袖ヶ浦と呼ばれる入り江だった。相模野台地は瀬谷区・泉区・戸塚区のそれぞれ西端を流れる境川に沿って形成され、標高は30mから70mで南に向かって低くなっている。 低地には、丘陵や台地を刻む河川の谷底低地と沿岸部の海岸低地がある。谷底低地は鶴見川に沿って広がり、平坦な三角州性低地を形成する。また、海岸部には埋立地が造成され、海岸線はほとんどが人工化されている。金沢区の小さな入り江平潟湾は、鎌倉幕府が江戸湾側の海の玄関口とした天然の良港であった。島としては金沢区の野島(扇島・八景島は人工島)があり、野島海岸が横浜で唯一の自然海浜となった。
気候![]() ![]() 本州のほぼ中央、太平洋岸に位置し、ケッペンの気候区分では温帯の温暖湿潤気候(Cfa)に属する。気温の年較差は大きく、四季は明瞭。1日の寒暖の差は小さく、1年を通じて穏やかな気候である。横浜では、梅雨時と秋雨・台風の時期に降水量が多い。夏は名古屋以西の都市と比べると暑さが穏やかで、冬は晴れる日が多く、積雪は南岸低気圧によるもので年1-3回程度だが、積もるときには比較的まとまる(10cm以上)ことが多い。 一方、西部に位置する緑区の長津田地域や旭区の二俣川地域などは30cm以上の積雪となる事も少なくない。平成26年豪雪では旭区で60cm~70cmの積雪を観測した。 横浜の平均気温はヒートアイランド現象により年々上昇傾向にあり、その傾向は特に冬の最低気温に顕著に現れる。 近年では氷点下まで冷え込むことも稀となっており、冬日は年に数日程度である。 一方で旭区や瀬谷区など横浜市西部は緑被率が高く、内陸部に位置することから市中心部と比較して気温は低い。特に冬季の最低気温では横浜気象台より5度程度低く、氷点下5度以下を記録することも多い。 中心部と比較して積雪も多い。 夏季は、鶴見区や港北区など北東部ほど平均気温が高くなる一方、緑地のまとまって存在する西部の旭区・緑区や、南部の栄区・港南区などの平均気温は低くなり、最大で2度程度の差が開く事もある。 横浜の年平均降水量は1730.8mmで、月平均降水量の最高は9月の241.5mm、最低は1、2月の64.7mm。年平均気温は16.2°Cで、月平均気温の最高は8月の27.0°C、最低は1月の6.1°C。年平均相対湿度は67%で、月平均相対湿度の最高は6、7月の78%、最低は1月の53%。年平均風速は3.5m/sで、最大は3、4月の3.9 m/s、最小は6月の3.2 m/s。6月から8月にかけて南西風が卓越する他は、北風が卓越する。年平均の合計日照時間は2018.3時間で、最多は8月の206.4時間、最少は6月の135.9時間。大気現象の年平均日数は、雪が17.7日、霧が4.0日、雷が13.8日となっている[42]。 横浜地方気象台の観測史上、最高気温は2013年8月11日および2016年8月9日の37.4°C、最低気温は1927年1月24日の−8.2°C。同じく、日降水量が最も多かったのは1958年9月26日(狩野川台風)の287.2mm、年降水量が最も多かったのは1941年の2535.2mm[43]。 横浜の初雪の平年値は12月15日で、初霜は12月10日、初氷は12月12日[44]。桜(ソメイヨシノ)の開花日の平年値は3月26日で、満開日は4月3日となっている[45]。
参考文献
歴史→詳細は「横浜市の歴史」を参照
現市域各地の前史横浜市内における遺跡(周知の埋蔵文化財包蔵地)の分布状況は、市教育委員会刊行の『横浜市文化財地図』[50]や、市の公開する行政地図情報(遺跡地図)[51] で参照可能だが、市域内の遺跡数はおよそ2500か所にのぼる[52]。ただし大都市横浜にあって、この内の1700か所はすでに全域的または部分的に開発などによる破壊を受けているという(1998年時点)[52]。 旧石器時代の遺跡は、矢指谷遺跡や北川貝塚・花見山遺跡・けんか山遺跡など、およそ25か所発見されている。 縄文時代の遺跡は市内各所にみられるが、市北部の都筑区では、1970年代から80年代に港北ニュータウン開発に伴って200を超える遺跡が一斉に発掘調査された結果(港北ニュータウン遺跡群)[53]、南堀貝塚や北川貝塚をはじめ三の丸遺跡・二ノ丸遺跡・月出松遺跡・神隠丸山遺跡・華蔵台遺跡など、縄文時代全時期に亘る多数の集落遺跡(貝塚含む)が発見されている[54]。 弥生時代の遺跡は、弥生中期までは少ないが、中期後半以降は、都筑区の大塚・歳勝土遺跡(国の史跡)・大原遺跡(おっぱらいせき)・権田原遺跡(ごんたっぱらいせき)、青葉区の朝光寺原遺跡、港北区の日吉台遺跡群など、方形周溝墓を伴う環濠集落が現れる。 市内における古墳時代の古墳の出現は3世紀後半とされ、現在確認されている市内最古の古墳は2005年(平成17年)に発見された港北区の新羽南古墳(3世紀後半の円墳)である[55]。なお4世紀段階では、弥生時代以来の方形周溝墓のほか、弥生墳丘墓から古墳へと発展する過渡的な特徴を持つ陸橋付き方形周溝墓が併存しており、青葉区の稲ヶ原遺跡などでこの種の方形周溝墓が検出されている[56]。その後4世紀~7世紀にかけて市内各所に古墳(群)や横穴墓(群)が出現したほか、矢崎山遺跡など、同時代の集落遺跡も形成されるようになる。青葉区の朝光寺原古墳群・稲荷前古墳群・市ヶ尾横穴墓群・荏子田横穴、港北区の観音松古墳(日吉台古墳群の1つ。神奈川県内最大級の前方後円墳[57])、戸塚区の富塚古墳、西区の軽井沢古墳などはこの時代の遺跡である[58]。磯子区の三殿台遺跡(国の史跡)は、縄文時代・弥生時代・古墳時代の集落が同じ台地上に営まれた複合遺跡として知られる[59]。 市域の地名に関する文献上の初出は、『日本書紀』の安閑天皇元年(534年)の条とされる。武蔵国に住む豪族が、橘花(たちばな。橘樹郡)、倉樔(くらす。後に久良(くらき)郡、さらに久良岐郡)ほか4か所を屯倉として献上したと記される。 飛鳥・奈良時代以降は律令制導入に伴い横浜市域にも郡(評)が置かれ、7世紀後半までに市域には武蔵国橘樹郡・久良岐郡・都筑郡、相模国鎌倉郡が置かれた。青葉区の長者原遺跡は、8世紀に成立した都筑郡衙跡とされる。なお、都筑郡の名が見える最古の記録は『万葉集』である。 古代鎌倉郡にあたる栄区の㹨川流域には横穴墓群遺跡が発達し㹨川流域横穴墓群という約20群200基以上にのぼる横穴墓群が点在していた[60]。㹨川上流には上郷深田遺跡という古代関東有数の製鉄遺跡があった。近くの上郷猿田遺跡は製鉄作業に携わる人々のムラだという[61]。 平安時代には各所の開発も進み、坂東八平氏や武蔵七党など、関東武士の力が蓄えられた。市域には、平子氏、榛谷(はんがや、はりがや)氏、稲毛氏、綴党(つづきとう)などの武士団が勢力を張った。今に残る弘明寺、宝生寺など、平安時代以前の建立とされる寺院は、これら有力武士団の支援を受けていたものと考えられる。 延長5年(927年)には、都筑郡の杉山神社が、式内社とされた。この杉山神社には論社がいくつかあり、位置は確定されていない。 ![]() 市域は、鎌倉に鎌倉幕府が開設された12世紀末(鎌倉時代開始)から本格的に開発が始まった。鶴見川や柏尾川などの河川流域では農業が発達し、13世紀前半には、現在の新横浜周辺地域に当たる小机郷鳥山(港北区小机町・鳥山町)から、多摩川・鶴見川周辺地域が、幕府によって大規模に開発された。また、東京湾に面する六浦湊(金沢区六浦)が鎌倉の玄関口として文化・交易・産業の中心地となり、中国大陸(南宋)との貿易(日宋貿易)や内湾の交易によって栄え、武士や商人・職人・宗教者などが多く集まり賑わいを見せ、東海道に接して栄えた神奈川湊(神奈川区神奈川)とともに漁業と海運業の発達へと繋がっていった。 横浜の名の初出は、室町時代中期の嘉吉2年(1442年)の文献である。この年、平子氏の家臣と思われる市川季氏と比留間範数の両名が、石河宝金剛院(現、南区の宝生寺)に、横浜村の薬師堂免田畠を寄進する旨の文書が残されている。ただしこの横浜は現在の横浜(市政の中心街になっている関内地区)と異なるとされ、現在の横浜市の原型となった武蔵国久良岐郡横浜村は1667年に完成した吉田新田に役場を設置している[注釈 9]。 戦国時代に入ると、相模国の伊勢氏が市域を支配下に置いた。伊勢氏改め北条氏にとって小机城と本牧村は重要な拠点であり、小机には「小机衆」と呼ばれる家臣団が、本牧には水軍として編成された漁民達が置かれていた。 ![]() ![]() 江戸幕府が置かれた17世紀以降は、東海道の宿場とされた神奈川宿、程ヶ谷宿(保土ヶ谷宿)、戸塚宿を中心に発展する。特に、神奈川湊を持つ神奈川宿が江戸湾(東京湾)内海交通の要衝の一つとして栄え、対する六浦湊は、歌川広重が金沢八景を浮世絵としたように、風光明媚な景勝地としての色合いを濃くしていった。なお、江戸時代末期までの横浜村は、前出2つの湊とは対照的に、戸数わずか100戸足らず[62][63] の砂州上に形成された半農半漁の郷村であった。 神奈川開港と都市横浜の誕生・発展横浜村の運命を一変させたのは、当時国交を持たなかったアメリカのマシュー・ペリー率いる黒船の来航であった。太平洋航路の拠点として、また、捕鯨の際の供給基地として日本の港を利用することを望んだアメリカ海軍の黒船一行は六浦藩小柴村沖(現在の金沢区八景島周辺)に無許可のまま2か月間投錨し、幕府の対応を待った後に横浜沖へと進み入り、その後幕府は横浜村に設営した応接所で外交交渉を行った。交渉の結果、嘉永7年/安政元年(1854年)に横浜村で日米和親条約が締結され、安政5年(1858年)には神奈川沖・小柴(現・八景島周辺)のポウハタン号上で日米修好通商条約が締結された。この通商条約に「神奈川」を開港するよう定めたことが、横浜の都市開発の発端となった。 幕府は、東海道に直結し、当時既に栄えていた神奈川湊を避け、外国人居留地を遠ざけるため、対岸の横浜村を「神奈川在横浜」と称して開港地とした。横浜村には、短期間で外国人居留地、深谷市在の笹井万太郎による波止場、運上所(税関)など国際港の体裁が整えられ、安政6年6月2日(1859年7月1日)に横浜港は開港した。横浜市では、6月2日を開港記念日としている[注釈 10]。しかし勅許は6年遅れた。文久/元治元年(1864年)には安政五カ国条約の相手国へ横浜鎖港談判使節団を派遣するも失敗。薩英戦争まで起こった。騒然とした世相にもかかわらず、横浜にはジャーディン・マセソン(怡和洋行)、デント商会、そしてオリエンタル・バンクが進出してきた。慶応2年(1866年)には香港上海銀行も支店を出した。明治5年(1872年)にはドイツ銀行までやってきた。 ![]() ![]() 横浜村は幕府が設置した運上所(税関)を境に、以南を外国人居留地(横浜居留地)、以北を日本人居住区とした。境界には関所が置かれ、関所から外国人居留地側を関内、以外を関外と呼んだ。外国人居留地には、イギリスやフランス、ドイツやアメリカを中心とした各国の外国商館が立ち並んだ。今に残る横浜中華街は、外国人居留地の中に形成された中国人商館を起源とする。一方、日本人居住地は横浜町と名付けて5区域に分割し、各区域に名主を置いて総年寄が町全体を統括、初代横浜総年寄には保土ヶ谷宿本陣家第10代当主の苅部清兵衛悦甫が就いた。明治6年、横浜町は第1区1番組に編入され、1874年(明治7年)6月14日大区小区制により第1大区1小区となり、1878年(明治11年)11月21日に郡区町村編制法に基づき、第1大区が横浜区となり、久良岐郡から分離して横浜区長が管轄することとされた。そして、1889年(明治22年)4月1日、市制が施行されると同時に横浜区は市となり、横浜市が誕生した。当時の市域面積は、横浜港周辺の5.4 km²。面積は狭いものの、市制施行当時、すでに戸数27,209戸、人口121,985人(1889年末時点)に達した。その後、関内地区は市政と商業の中心地として発展する。 開港当初の横浜港には、東波止場(イギリス波止場)と西波止場(税関波止場)が設置され、東西波止場はその形から「象の鼻」と呼ばれた。象の鼻は、現在の大さん橋の付け根部分にあたる。ここでの貿易は、生糸、茶、海産物が輸出され、絹織物、毛織物が輸入された。明治3年4月15日(1870年5月15日)には、当時神奈川県知事であった井関盛艮の進言により、横浜及び横浜港の守り神として、野毛山に伊勢山皇大神宮が国費を以て創建され、この日は横浜市の祝日と定められた。明治5年9月12日(1872年10月14日)には、新橋(後の汐留駅。現在は廃止)と横浜(現在の桜木町駅)を繋ぐ日本初の官設鉄道が開通し、新橋・横浜それぞれの会場で盛大に開業式典が執り行われた。同年には、神奈川駅(現在の横浜駅近傍)と鶴見駅も開設されている。当時、生糸貿易の主導権は外国商館にあった。そのため、横浜商人と呼ばれた日本人貿易商は、1873年(明治6年)には生糸改会社を設立して競争力を高め、1881年(明治14年)には生糸荷預所を設立して生糸貿易の主導権確立に努めた。また、横浜商人たちは、県営水道の設置(1887年(明治20年))、横浜共同電灯会社の設立(1890年(明治23年))、十全病院の設立(1891年(明治24年))、生糸検査所、商業会議所の設立(1895年(明治28年))など、都市基盤の整備と商業の発達に大きく寄与した。 1909年(明治42年)には開港50周年を迎え、この年の7月1日[注釈 11]から3日間にわたって、横浜開港50年祭と銘打った数々の記念行事が催され、「全市は殆ど家族打連れて外出せしやの観あり」と伝えられた[64]。できたばかりの新港埠頭で行われた式典では、森鷗外の作詞による『横浜市歌』が、市内小学生の合唱によって初めて披露され、各国艦船は祝砲を放った。また、この時、市章の「浜菱」が制定され、市民の寄付による開港記念横浜会館(1917年(大正6年)竣工。現・横浜市開港記念会館、ジャックの塔)の建設が計画されるなど、市制施行20周年と併せて盛大に祝われた。大正時代に入ると、鶴見川河口の埋立が始まって京浜工業地帯が形成され始め、横浜港は工業港としての性格をも持ち始めることとなる。 震災と戦災、接収の時代![]() ![]() 1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災(大正関東地震)では、横浜港、関内を始め、市内全域で甚大な被害を受けた。東京より震源に近く、ほぼ直下型地震の直撃を受けた横浜市内は特に壊滅的な被害を受け[注釈 12]、各国領事館の建物は全て倒壊。山手(横浜)地区の洋館群も壊滅的被害を受け、港湾機能・対外貿易都市としての機能は完全にマヒした。その後、震災復興事業により、日本大通りの拡幅、山下公園の造成、横浜三塔に数えられる神奈川県庁舎(キングの塔)や横浜税関庁舎(クイーンの塔)の建設などが行われ、1929年(昭和4年)にはほぼ旧状に復した。 昭和時代に入り、1927年(昭和2年)4月に第3次市域拡張が行われ、同年10月には区制が施行されて、鶴見区、神奈川区、中区、保土ケ谷区、磯子区の5区が置かれた。以降も第6次まで続く市域拡張(1939年(昭和14年))と東京湾岸の埋立により市域は拡大し、市域面積は437.38 km²(2006年(平成18年))、行政区の数は18区となっている。1930年(昭和5年)前後には、現在山下公園に係留されている氷川丸など、豪華客船の就航が相次ぎ、横浜港は太平洋航路の乗船地として、客船黄金時代の一翼を担った。また、このころの横浜港は、生糸貿易港から工業港へと変貌し、輸出、輸入とも、機械類・金属製品、鉄鋼の割合が高まった。この傾向は、第二次世界大戦中の軍需生産期、戦後の高度経済成長期を経て、より強まっていった。 第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)5月29日の横浜大空襲では、磯子区から鶴見区に至る沿岸部が焼き尽くされ、中区、西区の中心市街地は壊滅した[注釈 13]戦時中を通じての空襲による被害は、罹災面積6,940,000坪、罹災人口399,187人、罹災戸数98,361戸、死者5,830人、負傷者14,215人に及び、市街地の46%が被害を受けた[65]。同年8月の終戦によりイギリス軍やアメリカ軍、ソビエト連邦軍を中心とした連合国軍が進駐し、横浜の中心市街地と横浜港は接収され、都市機能は麻痺した[注釈 14]。連合国軍は、横浜税関ビルに連合国軍最高司令官総司令部(GHQ、後に東京の第一生命ビルに移転)と太平洋陸軍総司令部(AFPAC)を置き、軍事拠点とした。戦争末期に連合艦隊司令部など(日吉台地下壕)が置かれた港北区日吉の慶應義塾大学キャンパスもアメリカ軍に接収された[66]。空襲とそれに引き続く接収により、横浜の復興は大幅に遅れた。 1950年(昭和25年)、横浜国際港都建設法が制定され、復興に向けた取り組みが本格化する。1951年(昭和26年)には、サンフランシスコ講和条約が締結され日本の連合国による占領体制が終わり、新たに市長となった実業家で元貴族院議員の平沼亮三の下、接収解除に向けて動き始めた。また、この年には、横浜港の管理が国から市に移管された。条約が発効した翌1952年(昭和27年)以降、大さん橋や山下公園などが次々と接収解除された。1957年(昭和32年)には横浜国際港都建設総合基幹計画が決定され、今日に至るまでの都市計画の骨子となった。なお市域には150万m²余の在日米軍施設がある(2021年(令和3年)1月1日現在)[67]。 戦後の発展1956年9月1日、制度の開始とともに、政令指定都市に指定される。このころから、相模鉄道を中心とした横浜駅西口の開発が始められた。1959年に行われた開港100周年記念祭では、横浜公園平和野球場(現・横浜スタジアム)で、横浜出身の美空ひばりや草笛光子が3万人の観客を前に歌った。1964年5月には根岸線(桜木町 - 磯子)が開通し、同年10月には東海道新幹線の開業に伴い、横浜線との交点に新横浜駅が開設された。横浜駅西口地下街が完成したのもこの年で、横浜駅西口は急速に発展し始めた。また、1960年代後半には中区の元町商店街が活況を呈し、元町ブランドで固めた山手の女子高生たちのファッションは、後に1970年代後半のハマトラ(横浜トラディショナル・ファッション)ブームへと繋がっていく。また、1966年には東急田園都市線(溝の口駅-長津田駅)が開業し、今まで寒村であった市北部が東京のベッドタウンの多摩田園都市として発展し始めた。 ![]() 1963年、日本社会党の衆議院議員であった飛鳥田一雄が市長となり、「革新首長」のリーダー的存在となった。1965年1月、飛鳥田市政下、横浜市六大事業と呼ばれる都市計画プロジェクトに着手した。これは、(1) 横浜みなとみらい21に代表される都心部強化、(2) 金沢地先埋立事業による中小企業の集約化、(3) 港北ニュータウンの建設によるスプロール現象の抑制と良質な住宅街の提供、(4) 横浜市営地下鉄である高速鉄道建設事業、(5) 高速道路建設事業、(6) 横浜ベイブリッジ建設の6事業からなり、都市基盤の整備と中枢管理機能の充実を図るものである。 まず、高速道路建設に取りかかり、1968年には神奈川県道高速横浜羽田空港線(浅田 - 東神奈川)が開通する。1972年には横浜市営地下鉄(上大岡駅 - 伊勢佐木長者町駅)が開通した。また、1979年には横浜横須賀道路日野―朝比奈間が開通し、1981年には狩場―日野間を、1982年には朝比奈―逗子間と逗子―衣笠間を供用開始した。 1977年には金沢地先埋立が完成し、1990年に大黒埠頭の埋立(第2期)が完成すると、横浜の東京湾沿岸における大規模埋立事業は一段落した。日本社会党委員長として国政に復帰した飛鳥田のあとを受けて、1978年に市長となった細郷道一も、六大事業の推進に力を注いだ。1980年(昭和55年)には港北ニュータウンの入居が始まり、1985年には人口が300万人を超えた。また、1978年には横浜スタジアムが完成し、横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の本拠地となった。 1989年、市制100年と開港130年を記念して、横浜博覧会が開催された。同年には横浜ベイブリッジも開通し、1994年の鶴見つばさ橋開通と合わせて、首都高速湾岸線の整備・延伸が進んだ。1990年、急逝した細郷のあとを引き継いで市長となった高秀秀信は、六大事業の中心となる都心部強化、横浜駅周辺地区と関内地区の間を繋ぐ横浜みなとみらい21地区の整備を本格化させた。1993年には、みなとみらい21地区のシンボルとなる横浜ランドマークタワーが完成した。 ![]() 高秀は、六大事業の継続に加え、港北ニュータウンや新横浜などにおける横浜市北部での新規事業を追加した。1999年(平成11年)よこはま動物園ズーラシアが開園し、1998年に完成した横浜国際総合競技場(現在の日産スタジアム)と横浜国際プールは高秀市政の象徴となった。2002年には、国際総合競技場で2002 FIFAワールドカップの決勝が行われ、国際プールではパンパシフィック水泳選手権が行われた。また、2002年には、横浜港大さん橋国際客船ターミナルの建替が完成した。横浜国際港都建設法に基く国際港都建設事業である横浜市内の都市計画道路は戦後進捗が遅れていたが、高秀市政期に事業化された区間も多く、一定の進歩が見られた。2004年2月には、横浜高速鉄道みなとみらい線が開業した[68]。 2002年、高秀と争って新たに市長となった中田宏は財政改革、行政改革、医療と教育の民営化を軸にした政策を打ち出した。主な政策としては家庭廃棄物の分別収集、外郭団体の見直しや統廃合、公立病院や保育園の民営化、交通局や水道局の構造改革、新緑税導入、横浜都心の立地企業増加に向けた企業立地促進条例の制定、横浜港への客船寄港促進などを実施。2008年度(平成20年度)には、1961年度以来47年ぶりに、普通交付税の不交付団体となるなど成果に現れた。また国際コンベンションも積極的に誘致し、2010年日本APECの開催を実現した。一方では都市計画道路整備の予算が減少し、事業速度の低下がみられた。 2009年、開港150周年・市制施行120周年を迎え、横浜市などが設立した財団法人横浜開港150周年協会が中心となって、様々な記念事業・祝祭イベントが行われた[69][70]。同年4月28日から9月27日まで横浜みなとみらい21新港地区で開国博Y150が始まり[71](7月4日から9月27日まで、ヒルサイドエリア(横浜動物の森公園)でも開催)、4月19日には横浜動物の森公園で第20回全国「みどりの愛護」の集いが開催された。5月31日には横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)国立大ホールにおいて横浜開港150周年記念式典が挙行された[72]。このほか、開港150周年を記念したプロジェクトとして、「象の鼻」地区を中心とした広場や緑地の整備[73]、「開港150周年の森」づくり[74]、横浜マリンタワーの再整備[75]、横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校の開校[76] などが実施された。また、同年7月に任期途中で中田が市長職を辞任した。第45回衆議院議員総選挙と同じ同年8月30日に行われた市長選挙で、東京日産自動車販売代表取締役社長の林文子が新たな市長に選ばれた。 2010年11月13日から14日には、パシフィコ横浜が2010年日本APECの参加国首脳会議の会場になった[77]。2011年3月11日の東日本大震災では、市内各所で震度5強の揺れを観測。ごく少数ではあるものの、地震動による建造物の全半壊、液状化現象による建物損壊がみられ、大規模な停電が発生し、少数の死傷者などの被害が発生した。また、福島第一原子力発電所事故により放出された放射性物質が市域にも降下したため、土壌の除染などの対応が採られた[78]。 2013年5月には、保育所待機児童数がゼロとなったことを発表した[79]。これは、「横浜方式」と呼ばれる一連の待機児童解消政策の成果とされる。また同月、人口が370万人を突破した[80]。 2019年8月には、第7回アフリカ開発会議(TICAD7)がパシフィコ横浜で開催された[81]。また9月から11月にかけて、ラグビーワールドカップが日本で開催。横浜国際総合競技場では、決勝戦を含む6試合が開催された[82]。10月には、客船ターミナルを中核とした複合施設、横浜ハンマーヘッドがオープン[83]。11月には、相鉄・JR直通線が開業した[84]。 横浜市の中心部は企業集積が進み、2020年に横浜市単独で福岡・札幌・京都・神戸の都市雇用圏の合計人口を超えるなど、発展を続けている。6月には、超高層ビルの8代目にあたる新市庁舎に正式移転。10月、横浜市は、カジノを含む統合型リゾート施設(IR)の経済波及効果を公表。経済波及効果は年間7,400億から9,700億円、自治体への増収効果は年間860億から1千億円[85]。雇用創出効果は年間91,000人から1190,00人[86]。しかし、2021年8月、市長に山中竹春が就任[87]。9月にはIR誘致の撤回を表明した[88]。 コロナ禍の2021年、横浜市は、22年ぶりに東京都からの移動が転入超過に転じた。東京23区からの転入者が目立つ。神奈川県内でも、横浜市よりも「東京23区に近い川崎市」からの転入者が転出者を上回った。横浜市の政策局に拠れば、「東京に近いエリアで流れが変わった」という[89]。 2024年、一般社団法人夜景観光コンベンション・ビューローが主催した、日本新三大夜景都市で2位を獲得[90]。 行政区域の変遷
![]() 人口
![]() 横浜市の人口は、1920年(大正9年)の第1回国勢調査では同じ国際港湾都市の神戸市より約19万人少なく、1923年(大正12年)の関東大震災による人口減により、1925年(大正14年)の第2回国勢調査では神戸市との差が約24万人に開いてしまった。しかし、震災からの復興過程において横浜港が京浜工業地帯の中核を担う工業港へと発展して全国から労働人口を吸引し、市域拡張を1939年(昭和14年)までに済ませた結果、1940年(昭和15年)の第5回国勢調査では神戸市を僅差で抜くに至り、1942年(昭和17年)に100万人を超えた。 戦災被害により減少したものの、1951年(昭和26年)に再び100万人を超え、1968年(昭和43年)に200万人を超えて名古屋市を抜き、1978年(昭和53年)には大阪市を抜いて東京都区部に次ぐ大都市中第2位となり、1985年(昭和60年)には300万人を超えた[93]。現在は、3,769,584人(2025年1月1日現在)[94] と、全国の基礎自治体(市町村および特別区)のなかで最も多くなっており、これは10番目に人口が多い都道府県である静岡県をも上回っている(都市人口順位、都道府県人口順位も参照)。終戦直後の1945年(昭和20年)11月の人口調査で624,994人[95] だった横浜市の人口は、戦後の76年間で約315万4千人増加して約6倍に膨れ上がり、2021年(令和3年)に377万9千人に達してピークを迎えた[96]。 横浜市の人口が多い理由は、面積が広く(横浜市の面積は、神奈川県の総面積の18.0%を占め、市人口第2位の大阪市の面積の約2倍、第3位の名古屋市の約1.5倍に上る)、丘陵・台地は多いものの山地が無いため、宅地開発が比較的容易であることなどが挙げられる(山地を削り海面を埋め立てて宅地開発を行った神戸市と対照的)。戦前にはまだ京急本線や東海道本線沿線の沿岸部に限られていた京浜のコナーベーションは、高度経済成長期になると東京一極集中の傾向もあいまって内陸部にまで急速に膨張した。これにより、横浜市も東京都区部のベッドタウンとしての性格が強まり、とりわけ横浜市中心部を経由しない東急田園都市線沿線の宅地開発は、東京都区部へ通勤・通学するいわゆる「横浜都民」の増加をもたらした。2020年(令和2年)の第21回国勢調査によれば、横浜市の昼夜間人口比率(常住人口(夜間人口)に対する昼間人口の比率)は91.1となっており、21大都市(東京都区部および政令指定都市20市)中18位という低いものになっている[97]。横浜市の昼夜間人口比率は長らく低落傾向を示していたが、1990年代初めに底を打って以降、ゆるやかな上昇傾向が続いている[98]。 なお、東京都特別区部への通勤率は横浜市平均で23.7%[99] で、最も高いのが青葉区の36.0%で最も少ないのが瀬谷区の12.8%となっている。[100] 行政区別の人口が最も多いのは港北区の365,705人で[101][注釈 15]、以下、青葉区307,875人、鶴見区297,511人、戸塚区282,200人と続く。人口の最も少ない区は西区で107,420人、以下、栄区120,343人、瀬谷区121,200人、中区153,441人と続く。 人口動態概要2024年現在約377万人となっている。従来は人口増加が続いてきたが近年は自然減少が社会増加を上回っており人口減少に転じている。人口動態の傾向としては都心回帰の流れもあり都心に近い鶴見区や中区では人口増加が続いてる一方で、金沢区や瀬谷区などは人口減少になっている。横浜市の人口は景気による相関関係が見られるのが特徴であり、高度経済成長期の1960年から1970年代半ばには年間8万人前後、バブル期の1980年から1990年までは年間4.5万人の人口増加があった一方で、オイルショック期の1975年から1980年までは年間3万人前後、バブル崩壊の1990年から1995年は年間1.7万人の人口増加に留まるなどしている。
今後の展望2020(令和2)年国勢調査の結果を基準人口として行われた将来人口推計によると、上述の通り横浜市の人口は2021年でピークを迎え減少に転じており、2070年には約301万人に減少すると推計された[96]。また、65歳以上の人が占める割合(高齢化率)は2065年には約37%に達するとされている[96]。 2020年の国勢調査の独自の集計による人口・世帯数の速報値によると、横浜市の1世帯あたりの人数は2.15人で1920年の統計開始以来、過去最少となった。神奈川区(1.91人)、中区(1.77人)、西区(1.85人)、南区(1.91人)は2人未満だった[102]。
(単位:千人)
国政・県政![]() ![]() ![]() 国などの機関→「よこはま新港合同庁舎」および「横浜第二合同庁舎」も参照
横浜市に置かれる国、独立行政法人、特殊法人の機関は以下の通り[110]。横浜市に置かれる各省庁の地方支分部局のうち、関東地方(もしくはそれよりも広い地域)を統括するものは、国土交通省の関東地方整備局(港湾空港部)・関東運輸局、海上保安庁第三管区海上保安本部など、数少ない。それらの多くは中区山下町の横浜地方合同庁舎、もしくは中区北仲通の横浜第2合同庁舎(旧生糸検査所)に所在する。
県の機関![]() ![]() 神奈川県庁、神奈川県警察本部、神奈川県立図書館など、多くの機関が所在する。 国会議員
県議会議員
※2014年3月20日の本会議で、議員定数を現行の107から105に削減する条例改正案が賛成多数で可決された。これにより2015年選挙から青葉区選挙区は「4」から「3」となった[113]。
市政横浜市の当面の課題としては、幹線道路整備の遅れ(都市計画道路整備率は、平成21年3月31日現在、64.8%[114])による市内各拠点と郊外住宅地を結ぶ体系化の未達、低い昼夜間人口比率(平成17年国勢調査によれば、90.4[115])、市域の一体的な発展などがある。都市基盤整備や地域経済圏の確立が遅れた地域もあるため、市内の一体感に乏しいとも指摘されている。直面する課題に向けた政策推進力が求められている。 横浜市政は、神奈川県との二重行政解消のため、神奈川県の持つ権限や事務などを横浜市に移譲し、横浜市が神奈川県から独立して、より効率のよい市政運営を行うことができるよう、「横浜特別自治市」構想を掲げている[116]。なお、東京23区(東京特別区)のような特別区は設置せず、市および区の2層構造を基本とした現行の行政区(横浜18区)を単位に、住民自治の制度的強化を図る構想である。
→詳細は「横浜市役所」を参照
関内駅前に所在した旧市庁舎(1959年完成)の老朽化や執務室の不足に伴い、横浜市では20年以上にわたり市役所の移転や建て替えが検討されてきた。2013年(平成25年)、中区北仲通南地区に市役所を全面的に移転することが決定され、2020年(令和2年)1月31日に新市庁舎の建物が竣工[117]。同年6月29日より全面供用を開始した[118]。現在の市役所の最寄駅は、馬車道駅(みなとみらい線)と桜木町駅(JR根岸線・ブルーライン)である。 市長→詳細は「横浜市長」を参照
議会横浜市では、市議会を「市会」と称している[119][注釈 16]。 →詳細は「横浜市会」を参照
地域東京、川崎から続く市域の沿岸部には、京浜工業地帯が広がる。埋立地を中心とした地域には、鉄鋼業や化学工業などの大規模工場や、火力発電所が多く、内陸部にかけた地域は、部品や食品などの中小規模事業所が多い。横浜駅に鉄道路線が集中したため、商業の中心地は関内地区から横浜駅周辺へと移っている。そのため、元々の中心地であった伊勢佐木町や関内の地位が相対的に低下しており、その中間に位置する「みなとみらい21(横浜ランドマークタワー他)」を整備することで都心の一体化を目指している。また、新幹線駅を持つ新横浜を始め、上大岡、戸塚、二俣川・鶴ヶ峰、鶴見、港北ニュータウンなど、主要な生活拠点(旧:副都心)としての機能を持つ街の整備を図り、都市機能の集積や地域経済の強化に注力している。東急田園都市線沿いの青葉区は横浜市街地よりも東京23区との繋がりが深い。
行政区横浜市は1994年以降、18の行政区で構成されている。市役所本庁の所在地は中区。1つの市を構成する行政区の数としては、大阪市の24区に次いで日本で2番目に多い。区名と主要な施設・観光地は以下の通り。
※人口は2025年1月1日時点の推計人口
インフラ整備の状況
隣接している自治体・行政区観光横浜市の観光入込客数は約3,600万人(実人数、2023年[122])となっている。また、神奈川県の調べによる横浜・川崎地域の入込観光客数は5,598万2千人(延べ数、2008年[123])で、これは県全体の入込観光客数の32.7%を占めており、地域別では最も多い。 施設祭り
芸能交通の便が良いため、横浜スタジアムや横浜アリーナなどでコンサート・ライブなどは多数開催されている。横浜市出身の人物一覧で見られるように、輩出している芸能人は多いものの地元への定着性は低い。これは、地元密着のマスコミが少ないためであり、東京を除く関東広域圏共通の傾向でもある(詳しくはローカルタレントの項を参照)。 経済横浜市内総生産は2021年に14兆6,453億円に達した[126]。国内都道府県と比較すると静岡県と茨城県の間に位置する[127]。OECD諸国と比較すると30位のハンガリーと31位のスロバキアの間に位置する[128]。概ね第一次産業が0.0%、第二次産業が15.3%、第三次産業が83.6%となっており(2021年度)[129]、第一次産業の割合が低く、第二次産業、および第三次産業の割合が高い。他の政令指定都市との比較では、大阪市の約6割の規模であり、名古屋市とほぼ同じである。別表の通り本社企業も人口の割に少なくないが、それでもより人口の少ない大阪市に比べ大きく見劣りするのは、大阪市が京阪神大都市圏の中心であるのに対して神奈川県全体が東京の隣県でベッドタウン的側面が強いこと(昼間人口では横浜市より大阪市の方が多くなる)、これに関連してブロック型の大企業(JR・NTT・電力・ガス・大手民放など)が不在であることなどが影響している。
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産業
→詳細は「横浜市の農業」を参照
本社を置く主な企業東証プライム上場
東証スタンダード上場東証グロース上場
非上場
交通航空
船舶→詳細は「横浜港」を参照
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鉄道路線主要な駅
市内に所在する路線と駅名の一覧
路線バス![]() 各事業者の運行子会社は省略。
乗車方法は、走行地域や運行会社により異なる。市営バス・臨港バス・東急バス・小田急バス・フジエクスプレス・大新東バスは前乗り後降り先払いで、区間制の路線であっても整理券は使用せず、乗車時に行き先を乗務員に告げて所定の運賃を支払う。京急バス・相鉄バス・江ノ電バス・神奈中バスは前乗り後降りの路線と後乗り前降りの路線があるが、これは地域(均一制か区間制)によって異なる。なお、神奈中バスでは主として戸塚以西で前乗り前降りの路線も存在する。後乗り前降りと前乗り前降りの路線はいずれも後払いであり、整理券方式を採っている。 道路横浜市は「横浜国際港都建設法」により、日本の代表的な国際港都であるべきことが目的として掲げられている(法第1条)。そのため、国際港都にふさわしい都市計画として「横浜国際港都建設計画」を定めることになっており、その道路事業が「横浜国際港都建設計画道路事業」として計画されている。 しかし道路整備率は21大都市[注釈 20]の中で19位と低い[注釈 21][140]。戦後比較的早期に「横浜国際港都建設計画道路事業」として策定され、その後も都市計画法制定まで多数の計画路線が追加されたが、事業着手され全線完成した路線は少ない。直近でも「ゆめはま2010プラン」1994-2010や「横浜中期政策プラン」2002-2006、「中期計画」2007-2010などで横浜都心迄30分の交通体系整備を実現させる3環状10放射からなる主要計画があるが、全線完成したのは環状2号線、横浜鎌倉線、横浜伊勢原線、日吉元石川線の1環状3放射にとどまる[141]。市内の都市計画道路の整備率は、2024年3月31日時点で計画延長682.920kmに対し、整備済472.175kmであり、整備率は69.1%である[142]。
主要な道路一覧
※ このほか、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の横浜市内区間にあたる横浜環状南線が、2025年度に開通する予定である[143]。
![]() 文化施設ホール・集会場主要なもののみを以下に記載する。
※ 横浜市を拠点に活動する神奈川フィルハーモニー管弦楽団は、おもに横浜みなとみらいホール・神奈川県民ホール本館・神奈川県立音楽堂で定期公演を行なっている。 図書館博物館中区を中心に多数存在。
美術館公民館
文化財2023年(令和5年)12月15日時点で市内には、国指定・国登録・県指定・市指定・市登録の文化財物件が総数486件存在する[147]。国選択・神奈川県選択の文化財は該当無し。 国指定文化財重要文化財
天然記念物国登録文化財登録有形文化財
→詳細は「神奈川県の登録有形文化財一覧 § 横浜市」を参照
国選択文化財
県指定文化財→詳細は「神奈川県指定文化財一覧」を参照
県選択文化財
市指定文化財・市登録文化財→詳細は「横浜市指定文化財および地域文化財一覧」を参照
その他
スポーツ主なスポーツチーム→「Category:横浜市のスポーツチーム」および「横浜市を本拠地にするスポーツチーム」も参照
本項では、原則としてプロおよびセミプロのチーム・団体のみを記載する。社会人スポーツクラブについては、上記2つのページを参照のこと。
2022シーズンよりホームタウンを東京都町田市から移転。
主なスポーツ施設→「Category:横浜市のスポーツ施設」も参照
主要なもののみを以下に記載する。
教育市域に設置されている幼稚園、認定こども園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、専修学校、および各種学校の数は、下表の通り[150]。各種学校などの外国人学校は9校設置されている[151]。校名などは、各区の記事を参照のこと。
大学・短期大学大学は21校、短期大学は2校設置されている。高等専門学校は設置されていない[152]。校名一覧は下表の通り(太字は本部所在校)。
学校教育以外の教育施設
職業訓練公共職業能力開発施設として、職業能力開発短期大学校が2校設置されている。
自治体間交流・国際交流自治体間交流山梨県道志村との交流横浜市は山梨県南都留郡の道志村と友好・交流に関する協定を結んでいる[153]。横浜市が上水道用水を頼る道志川上流の道志村には、横浜市水道局の水源林がある[154]。
再生可能エネルギーの活用2019年2月6日には、再生可能エネルギーで発電した電力の供給を受けるための連携協定を東北地方12市町村を結んだ。地球温暖化抑制を目的としている[155]。 国際交流姉妹都市など横浜市は7都市と姉妹都市提携、1都市と友好都市提携し、7都市とパートナー都市提携、5都市等と共同声明を発表している[156][157]。また、横浜港は3港と姉妹港提携、2港と友好港提携し、1港と貿易協力港提携している[156]。
共同声明
総領事館など横浜市には、大韓民国が総領事館を置き、中華民国が台北駐日経済文化代表処を置いている他、5ヶ国が名誉領事館を置いている。1975年(昭和50年)前後までは、米国、英国、フランスなども横浜に総領事館を置いていた。
海外事務所横浜市は、ドイツのフランクフルトと中華人民共和国の上海(公益財団法人横浜企業経営支援財団が運営)、インドのムンバイ、アメリカ合衆国のニューヨークに海外事務所を置いている。かつては、マレーシアのクアラルンプール(2003年(平成15年)6月末に閉鎖)、ロサンゼルス(2007年(平成19年)10月に設置、2010年(平成22年)3月末に閉鎖)にも海外事務所を置いていた。
その他の連携協定2011年(平成23年)4月26日、横浜市は国際的な生物多様性の取り組みを発展させることを目的として、国連大学高等研究所 (UNU-IAS) と生物多様性に関する連携協定を締結した[163]。 人物作品
主要な曲目については神奈川県のご当地ソング一覧#横浜を参照。 マスコット横浜市には数多くのマスコットキャラクター(ゆるキャラ)が存在する。
→「神奈川県のマスコットキャラクター一覧」も参照
ナンバープレート横浜市は、横浜ナンバー(神奈川運輸支局)を割り当てられている。
横浜市全域・鎌倉市・逗子市・横須賀市・三浦市・葉山町 テレビ番組
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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