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早狩実紀

早狩 実紀 Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム はやかり みのり
ラテン文字 Minori Hayakari
国籍 日本の旗 日本
種目 中距離走長距離走障害走
所属 三和銀行トーラス京都光華AC→京都陸協→チームemda
大学 同志社大学
生年月日 (1972-11-29) 1972年11月29日(51歳)
生誕地 京都府宇治市
身長 164cm
体重 47kg
自己ベスト
800m 2分05秒82 (1996年)
1500m 4分12秒86 (2005年)
3000m 9分03秒76 (1990年)
5000m 15分11秒42 (2005年)
3000mSC 9分33秒93 (2008年) 日本記録
ハーフマラソン 1時間12分27秒 (2005年)
マラソン 2時間52分06秒 (2015年)
獲得メダル
アジア競技大会
2010年 広州 3000mSC
アジア陸上競技選手権大会
2011年 神戸 3000mSC
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早狩 実紀(はやかり みのり、1972年11月29日 - )は、日本の陸上競技選手指導者3000m障害日本記録保持者。京都府宇治市出身。宇治市立槙島中学校京都府立南八幡高等学校同志社大学商学部卒業。

同志社大学卒業後は、三和銀行→トーラス(兵庫県加古川市にあるビジネスホテル)→京都光華AC(光華女子学園陸上競技実業団クラブ)所属兼同学園職員、京都陸上競技協会個人登録、チームEMDAで活動し、現在は第一線から退きアメリカの大学に留学中。

経歴

1990年、京都・南八幡高校3年時に宮城インターハイ3000mに出場し、レース終盤まで先頭を走る鯉川なつえ(筑紫女学園3年)をラスト100mでかわし高校新記録で優勝した。さらに続くとびうめ国体(福岡)少年A3000mでもラスト100mで鯉川をかわし高校新記録で優勝(9分3秒76)した[1]

1991年世界陸上東京大会に初出場。3000mに出場したが、予選落ちした。

同志社大学卒業後の1995年三和銀行に入社。以降、第79回1995年日本選手権800m2:05.82で初優勝し、1500mではクリュードミラ・ワシリア(ノーリツ)に次ぎ2位、3位は佐藤由美(京産大1年)であった。翌第80回1996年同選手権800mでは岡本久美子(筑波大4年)に敗れ2位、1500mでは初優勝した。1995年 - 2005年まで同選手権1500mで1位1回・2位3回・3位5回という成績であった。第90回2006年同選手権から新たに3000m障害が設けられたのに合わせ、こちらに比重を移し6連覇を達成した(日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (女子)参照)。さらに2008年7月に記録した3000m障害9分33秒93の現日本記録保持者(3000メートル障害#日本記録歴代10傑参照)。

1999年世界室内陸上前橋大会に出場。1500mで予選落ちした。

2000年、トーラスへ移籍。

2004年、トーラスを退職。光華女子学園職員として同学園のクラブに籍を置きつつ、米国・ニューメキシコ州アルバカーキを練習拠点とする。

2005年世界陸上ヘルシンキ大会で日本人女子として初めて3000m障害に出場。決勝に進出し、12位に入る健闘を見せた。

2007年、3000m障害で世界陸上大阪大会に出場。予選のラスト一周で、障害の枕木に膝を強打、背中からトラックにたたきつけられ、脳震盪を起こし意識を失った。レースは途中棄権となり、早狩は担架で運ばれた。

2008年6月、3000m障害で日本選手権3連覇を果たし(後の2011年まで6連覇した)、続いて同年7月に記録した同障害9分33秒93は2021年現在の日本記録になる。さらに35歳にして自身初のオリンピック代表をつかんだ。同年8月、北京オリンピックの3000m障害に出場するも予選落ちに終わった。

2009年、3000m障害で世界陸上ベルリン大会に出場するも予選落ちする。

2010年広州アジア競技大会の3000m障害に出場し、銅メダルを獲得した。

全国都道府県対抗女子駅伝(全国女子駅伝)には、中学2年生だった第5回大会(1987年)に2区を走ったのが初出場だったが、その後高校1年生だった第7回大会(1989年)から第25回大会(2007年)まで19年連続出場(京都府および兵庫県代表、2007年は京都府チームのコーチ兼任)。第26回大会(2008年)は京都府チームのコーチとして参加し、第27回大会(2009年)は再び京都府代表の走者として出場した。第29回大会(2011年)はオリンピック代表経験者としては岡山県チームの山口衛里監督についで2人目(現役選手としては初)となる京都府チームの監督を務め、この年の京都府チームの優勝に貢献した。

2014年11月、アテネクラシックマラソンフルマラソンに初挑戦。ゴールタイムは2時間53分43秒で、女子総合9位に入った。翌2015年の同大会では2時間52分06秒で女子総合1位に輝いた[2]

2015年、NPO法人京都光華ランニングクラブ「MINORI RC」を設立し、代表兼ヘッドコーチに就任[3]

2017年3月31日付で光華女子学園を退職[4]

2018年9月にスペインマラガで開催された世界マスターズ選手権の2000m障害(45 - 49歳クラス)に出場し、世界記録を更新して金メダル獲得[5][6]。同大会では、大学の同期である朝原宣治も男子4×100mリレーで金メダルを獲得した。

日本選手権には、3000mでエントリーした1992年より2017年まで26回連続出場。女子3000m障害は初採用された2006年より2011年まで6連覇、1996年の800mと1500mの2冠を合わせ8回の日本タイトルを獲得した。入賞回数は4種目合わせて25回に及び、トラック種目では男女通じて歴代最多入賞回数である。しかし、2018年は日本選手権の出場資格となる参加標準記録Aに届かず、連続出場が途絶えた[7]。2019年は2年ぶりの出場を果たすが、1組最下位(9位)に終わり決勝を逃した[8]

2021年6月の日本選手権は申込資格記録をクリアするも申込者多数のため、出場はならなかった。

2022年よりサンディエゴの大学に留学中[9]

出演

脚注

  1. ^ 「永遠のライバルは一生の友達」”. NATSUWAY.COM (2005年6月8日). 2021年10月25日閲覧。
  2. ^ アテネマラソン2015:日本の早狩実紀、女子総合1位”. GreeceJapan.com (2015年11月10日). 2016年1月11日閲覧。
  3. ^ 【京都光華ランニングクラブ】MINORI RC 開設および体験レッスン開催のお知らせ』(プレスリリース)京都光華中学校/高等学校、2015年8月4日http://hs.koka.ac.jp/internal_information/internal_information-2116/ 
  4. ^ ご報告
  5. ^ 2.000m St. W45 (MAL) Final (07 September) 12:35”. 2019年1月3日閲覧。l
  6. ^ 金メダル” (2018年9月10日). 2019年1月3日閲覧。
  7. ^ 【記録と数字で楽しむ日本選手権】女子トラック編”. 公益財団法人日本陸上競技連盟 (2018年6月22日). 2019年1月3日閲覧。
  8. ^ “国内トップレベルで走り続ける46歳・早狩実紀 陸上日本選手権・女子3000m障害”. 毎日新聞. (2019年6月27日). https://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20190627/k00/00m/050/338000c 2019年6月30日閲覧。 
  9. ^ インスタグラム

関連項目

外部リンク

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