東洋大学陸上競技部(とうようだいがくりくじょうきょうぎぶ)は、東洋大学の陸上競技チームである。東洋大学体育会並びに関東学生陸上競技連盟に所属する。
チームカラーは『鉄紺』と呼ばれる紺色。1927年に創部され、元世界記録保持者である池中康雄をはじめとする多くの名ランナーを育んできた。2020年東京オリンピックでは8名のOB・現役学生が出場し、メダリストも輩出した。関東インカレおよび箱根駅伝の常連校である[1]。関東インカレでは1部(2024年現在は16校)。練習拠点は東洋大学川越キャンパス陸上競技場。
歴史
1927年創部。1933年には箱根駅伝に初出場、1935年の第16回箱根駅伝では5区で池中康雄が大学史上初となる区間賞を獲得した。同年池中は1936年ベルリンオリンピックマラソン代表の選考レースにおいて2時間26分44秒の世界記録を達成するなど、戦前における同部代表選手となり、第二次世界大戦後には日本陸上界の重鎮として別府大分毎日マラソンの創設に尽力している。また、この時代、短距離部門には植木等が所属しており、関東インカレにも出場している。
1960年代には箱根駅伝では安定した成績を残し、またトラック部門でも1964年東京オリンピック男子3000mSC日本代表の奥沢善二やメキシコオリンピック男子3000mSC日本代表の松田(三浦)信由を輩出するなど、最初のピークを迎える。
1980年代後半以降は箱根駅伝・関東インカレともに振るわず、何度か箱根駅伝出場を逃すなど最も低迷した時期を迎える。そうした中で気を吐いていたのは競歩部門で、今村文男や藤野原稔人、松崎彰徳が活躍したのはこのころである。
2002年にはシドニーオリンピックマラソン代表の川嶋伸次が長距離部門の監督に就任。2008年に通学途中の部員が強制わいせつ行為で現行犯逮捕されたのを受けて辞任するも第85回箱根駅伝では柏原竜二の活躍もあり大学史上初の総合優勝を達成した。2009年4月からは長距離部門の監督にOBの酒井俊幸が就任している。
現在の長距離部門監督は酒井俊幸、短距離・フィールド部門監督は梶原道明、2012年4月に東洋大学板倉キャンパスに設置された女子長距離部門の監督は永井聡。1981年までは総監督制をとっていたが、1982年より部門監督のみの選任となっている。
2014年からは男子短距離部門に法学部准教授の土江寛裕が指導者として加わった。
箱根駅伝
2024年まで82回出場。優勝回数は4回。
チームの黎明期にはマラソン元世界記録保持者の池中康雄が活躍。東洋大学史上初の区間賞を第16回大会5区で獲得するなど気を吐いたが、チーム自体は下位争いの常連で低迷していた。第二次世界大戦終結後も下位に低迷し続けたが、1956年から箱根駅伝にシード制度が導入されるとシード校の常連となり、1960年の第36回大会では過去最高の3位に入るなど1960年代には最初のピークを迎える。
1970年代にはシード権争いの常連となり、ロードの東洋大や復路の東洋大という異名がつけられる。1986年の第62回大会以降はシード権争いにも絡むことなく下位に低迷し、1992年の第68回大会では予選落ちを喫し連続出場が44回で途切れてしまう。予選会の常連とも揶揄され、2001年の第77回大会・2002年の第78回大会では2年続けて予選落ちとなる。(後にリオデジャネイロオリンピック男子マラソン代表となる石川末廣はこの2大会の予選会でチームトップの成績を収めている。)
2002年に川嶋伸次が長距離部門の監督に就任すると復調の気配を見せ始め、北岡幸浩や北島寿典ら後に世界に羽ばたく選手を輩出、再びシード校の常連となった。しかし、2008年の12月に通学途中の部員が強制わいせつの現行犯で逮捕され、出場すらも危ぶまれる事態となってしまう。この不祥事を受けて川嶋が監督辞任、前監督でコーチの佐藤尚が監督代行として再び指揮することとなった。最終的に関東学生陸上競技連盟による「箱根駅伝への出場を制限しない」という決定を受け、第85回大会に出場。柏原竜二の活躍もあって初の往路優勝を果たし、さらに復路でも優勝し初の総合優勝を達成した。出場回数60回を超える大学の中で唯一優勝に縁がなかったが、2009年の総合優勝によって初出場以来76年目、67回目で箱根駅伝史上最も遅い総合優勝を達成した。これを記念して、同学OGによる優勝の裏側を描いた本が発行されている。
2009年4月からはOBの酒井俊幸が長距離部門の監督に就任することが決まり、佐藤はコーチに戻った。翌年2010年の第86回大会でも総合優勝し2連覇を達成[2]。2011年の第87回大会では早稲田大学に箱根駅伝史上最小となる21秒差の2位で敗れるも、2012年の第88回大会では史上5校目となる往路・復路・総合の全記録を更新する完全新記録優勝を成し遂げた。
チームスローガンは「その1秒をけずりだせ」であり、駅伝では選手同士で腕にスローガンを書きあうのが慣例である。
植木等は生前、毎年箱根駅伝終了直後に選手を激励しに来ており、「(東洋大学を)箱根駅伝で優勝させる会」の発起呼びかけ人・初代会長を務めるなど陸上競技部、特に箱根駅伝出場選手たちの有力な後援者として知られていた。しかし植木は2007年3月に死去、存命中に母校の総合優勝を見届けることはできなかった。
マラソン
2019年9月15日に開催された東京オリンピック代表選考会であるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)には卒業生5名(大学別では最多)が出場し、服部勇馬が2位となり代表に内定した[3]。
競歩
12年ロンドン大会50km競歩の西塔拓己、16年20km競歩の松永大介に続き、川野将虎が2019年10月27日に行われた「第58回 全日本50km競歩高畠大会 兼 東京2020オリンピック日本代表選手選考競技会」で、日本記録を2分22秒も更新する3時間36分45秒で初優勝し、50km競歩に内定。池田向希が2020年3月15日に行われた東京五輪代表最終選考会兼全日本競歩能美大会で優勝し、20km競歩代表に内定。これにより3大会連続で競歩五輪代表を送り込むことになる[4]。
指導者
- 部長 - 塩田徹(経済学部総合政策学科教授)
- 長距離部門監督 - 酒井俊幸(東洋大学陸上競技部OB)
- 短距離部門監督 - 梶原道明
- 長距離部門コーチ - 谷川嘉朗、酒井瑞穂、山口広祐
- 短距離部門コーチ - 吉田明弘、土江寛裕(法学部企業法学科教授)
主な出身者
マラソン
競歩
クロスカントリー
中長距離
短距離
フィールド競技
大学駅伝成績
箱根駅伝の欄で☆は往路優勝、★は復路優勝。
年度
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出雲駅伝
|
全日本大学駅伝
|
箱根駅伝
|
2001年度
|
第13回
不出場
|
第33回
不出場
|
第78回
不出場
|
2002年度
|
第14回
不出場
|
第34回
5位
|
第79回
6位
|
2003年度
|
第15回
8位
|
第35回
9位
|
第80回
6位
|
2004年度
|
第16回
12位
|
第36回
不出場
|
第81回
13位
|
2005年度
|
第17回
不出場
|
第37回
8位
|
第82回
10位
|
2006年度
|
第18回
3位
|
第38回
8位
|
第83回
5位
|
2007年度
|
第19回
6位
|
第39回
不出場
|
第84回
10位
|
2008年度
|
第20回
5位
|
第40回
4位
|
第85回
優勝 ☆★
|
2009年度
|
第21回
3位
|
第41回
2位
|
第86回
優勝 ☆
|
2010年度
|
第22回
4位
|
第42回
3位
|
第87回
2位 ☆
|
2011年度
|
第23回
優勝
|
第43回
2位
|
第88回
優勝 ☆★
|
2012年度
|
第24回
2位
|
第44回
2位
|
第89回
2位
|
2013年度
|
第25回
2位
|
第45回
2位
|
第90回
優勝 ☆★
|
2014年度
|
第26回
開催中止
|
第46回
4位
|
第91回
3位
|
2015年度
|
第27回
4位
|
第47回
優勝
|
第92回
2位
|
2016年度
|
第28回
9位
|
第48回
6位
|
第93回
2位
|
2017年度
|
第29回
5位
|
第49回
5位
|
第94回
2位 ☆
|
2018年度
|
第30回
2位
|
第50回
3位
|
第95回
3位 ☆
|
2019年度
|
第31回
3位
|
第51回
5位
|
第96回
10位
|
2020年度
|
第32回
開催中止
|
第52回
6位
|
第97回
3位
|
2021年度
|
第33回
3位
|
第53回
10位
|
第98回
4位
|
2022年度
|
第34回
9位
|
第54回
8位
|
第99回
10位
|
2023年度
|
第35回
8位
|
第55回
14位
|
第100回
4位
|
関連書籍・DVD
脚注・参考文献
- ^ 82回出場し、第5位の出場回数(2024年現在)
- ^ 往路優勝は東洋大学、復路優勝は駒澤大学
- ^ 服部勇馬、念願五輪切符「スタートラインに立てることはうれしい」残り300メートル大迫逆転
- ^ 躍進する東洋大競歩陣に根づく 〝1秒をけずりだす〟スピリット
外部リンク
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体育会 | |
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大学名に併記の数字は優勝回数 ( 1941年/1942年/1944年/1945年/1946年 は大会中止 ) |