三段跳 (さんだんとび)は、陸上競技 の跳躍競技 に属する種目で、ホップ・ステップ(スキップ)・ジャンプ と3回跳び、その距離を競う競技。助走をつける走り三段跳 と助走をつけない立ち三段跳 があるが単に三段跳といえば通常走り三段跳を指す。
解説
北京オリンピックにおけるフィリップス・イドウ の試技
ホップとステップは同じ脚で連続的にすることになる。例えば、右足で踏み切った選手はさらにステップも右足、ジャンプを左足で行う。なお、ワールドアスレティックス のルールでは「ホップでは、踏み切ったのと同じ足を競技者はまず地面につけなければならない。ステップでは反対側の足をつけなければならず、そこから続いてジャンプが遂行される[ 1] 」となっており、ホップとステップは着地によって定義されている。
多くの世界的・国内の主要な試合では、踏み切り板は砂場の手前の端から13m 離れている。ただし、高校においては11m、中学においては9mなど、競技者のレベルに合わせて調節される。
日本の織田幹雄 は1928年アムステルダムオリンピック で15m21を跳び、日本人初となるオリンピック 金メダル をもたらした。
また同じく日本の南部忠平 (1904 - 1997) は、1932年 に開催されたロサンゼルス五輪 の三段跳に出場し、15m72の世界記録(当時)を樹立して金メダルを獲得。さらに、1936年ベルリンオリンピック では田島直人 が16m00の世界記録(当時)で金メダルを獲得し日本人選手で3連覇となり、その後の競技の発展に大きく貢献した。
陸上競技における正しい表記は三段跳 であるが、学校教育や新聞記事など陸上競技関係者以外が多く関わる場面では三段跳び と表記されることもある。
女子は1926年 から日本記録として公認されてきたが、戦後一旦公認対象種目から外された。その後1986年 から再度日本記録として公認されて現在に至っている。[ 3]
歴史
三段跳の起源は古代アイルランドまで遡り、水溜まりをいかに少ない歩数で渡りきれるか、という遊びが競技化したという説が有力である。
古代オリンピックの歴史的文献には時々、15m以上の跳躍記録が出てくる。スポーツ史研究家たちは、これらは複数段の跳躍の記録に違いなく、三段跳の起源にあたると結論づけている[ 4] 。しかし三段跳が古代オリンピックの種目だった証拠は無く、それらの異常に長い跳躍距離は、正確な記録をつけるというより、勝利を祝う詩人たちの芸術的放埓さによる可能性がある[ 5] 。
三段跳は、初の近代オリンピックであるアテネ大会 の種目になったが、当時は同じ足で2回ホップを踏んでジャンプするというものだった(踏み切り→同じ足でホップ→またホップにより跳躍)。最初の近代オリンピック金メダリストのジェームズ・コノリー はその三段跳の選手であった。女子の三段跳が種目に加わったのは1996年のアトランタ大会 からである[ 7] 。
初期の近代オリンピックには助走をつけない立ち三段跳もあったが、第2回(1900年・パリ) [ 8] と第3回(1904年・セントルイス) で種目に採用されたのみで、オリンピック以外を含めても今日行われることは稀である。
日本では1874年 (明治7年)に海軍兵学寮 で開かれた競闘遊戯会(運動会 )の1種目「うさぎのつきみ」が三段跳の始まりであるとされる。日本陸上競技選手権大会 の種目に加わったのは1918年 (大正7年)の第6回大会からで、当時は英語 名の hop step and jump をそのままカタカナ にした「ホップステップアンドジャンプ」を正式な種目名としていた。これではあまりに長いので、新聞 では「ホ・ス・ジャンプ」と略記し、選手の間では「ホスジャン」と呼んでいた。1929年 (昭和4年)、これに日本語 名を付けようと関東学生陸上競技連盟 (関東学連)の北沢清 が提案し、織田幹雄がドイツ語 名の Dreisprung やフランス語 名の Triple saut を参考に「三段跳」と「三回跳」の2案を考案した。関東学連は役員会で、「三段跳の方がしっくりくる」との理由で三段跳の名称を採用し、同年の関東学生陸上競技対校選手権大会 (関東インカレ)のプログラムで初めて「三段跳」の文字が登場した。当初、新聞業界は「三段跳」という名称を批判したが、漢字3文字で表記できる便利さからこの名称で定着した。
男子
風速 (m/s) は追い風を+で表記、向かい風を-で表記する。
女子
世界歴代10傑
世界記録の変遷
水色の背景は世界陸連 から世界記録と公認されなかった記録を意味する。
日本歴代10傑
女子
距離
風速
名前
所属
日付
1
14m16
+0.7
森本麻里子
内田建設AC
2023年6月3日
2
14m04
+1.1
花岡麻帆
三英社
1999年10月1日
3
13m83
+1.6
髙島真織子
九電工
2024年3月30日
4
13m81
−0.2
船田茜理
武庫川女子大学
2022年8月7日
5
13m65
+0.3
河合栞奈
大阪成蹊大学
2019年9月15日
6
13m52
+0.7
宮坂楓
ニッパツ
2016年10月15日
7
13m50
+0.4
吉田文代
中央大学
2003年6月6日
8
13m42
+1.8
剱持早紀
長谷川体育施設
2019年4月21日
9
13m40
+1.3
西内誠子
須崎市立上分中学校教員
1998年4月29日
10
13m39
−0.8
佐藤友香
七十七銀行
2004年10月27日
日本記録の変遷
男子
距離
風速
名前
所属
日付
10m96
原川五郎
日本体育大学
1918年11月3日
11m57
森田俊彦
東京農業大学
1919年4月19日
11m86
松本兼二郎
東京大学
1919年4月27日
12m31
奥山一三
神戸高等商業学校
1919年9月7日
12m45
佐藤信一
東京高等師範学校
1919年11月8日
12m48
坂東誠吾
法政大学
1920年4月25日
12m76
1920年11月3日
13m45
佐藤信一
東京高等師範学校
1922年4月23日
14m27
織田幹雄
広島高等師範学校
1923年5月22日
14m35
1924年7月12日
14m805
早稲田大学
1925年9月27日
15m343
1927年8月6日
15m355
1927年8月29日
15m41
1928年5月19日
15m45
1929年5月26日
15m48
早稲田大学クラブ
1931年6月28日
15m50
1931年10月11日
15m58
+0.5
1931年10月27日
15m72
南部忠平
浪速倶楽部
1932年8月4日
15m75
原田正夫
京都大学
1934年9月16日
15m82
大島鎌吉
浪速クラブ
16m00
+0.6
田島直人
三井鉱山株式会社
1936年8月6日
16m48
小掛照二
大昭和製紙
1956年10月7日
16m48
岡崎高之
八幡製鐵
1964年4月9日
16m58
村木征人
東京女子体育大学 教員
1969年8月3日
16m63
東海大学 教員
1972年4月23日
16m67
+0.6
井上敏明
法政大学
1972年10月27日
16m76
中西正美
日本体育大学 研究員
1981年4月29日
16m77
+1.4
山下訓史
筑波大学
1985年6月2日
16m92
1985年10月5日
17m15
+0.9
日本電気
1986年6月1日
月刊陸上競技 記録参照 [ 17]
女子
距離
風速
名前
所属
日付
12m23
城戸律子
新日本製鐵八幡
1986年11月3日
12m30
土屋由美子
大昭和製紙
1987年5月3日
12m30
古閑昭美
筑波大学
1987年10月11日
12m44
+1.3
土屋由美子
大昭和製紙
1988年6月17日
12m54
1988年11月3日
12m60
+0.2
磯貝美奈子
ナイキ ジャパン
1989年6月17日
12m77
土屋由美子
大昭和製紙
1989年8月26日
12m81
+1.6
前川明子
添上クラブ
1990年6月9日
12m86
森岡洋子
大昭和製紙
1992年10月25日
13m06
1993年5月5日
13m23
橋岡直美
あさひ銀行
1993年8月1日
13m23
+1.0
ゼンリン
1995年6月9日
13m31
+1.4
阿部祥子
福岡大学
1995年10月19日
13m35
+1.9
西内誠子
高知女子クラブ
1996年10月6日
13m35
花岡麻帆
順天堂大学
1998年4月29日
13m40
+1.3
西内誠子
高知女子クラブ
13m69
+1.0
花岡麻帆
順天堂大学
1998年5月17日
13m72
三英社
1999年10月1日
14m04
+1.1
14m16
+0.7
森本麻里子
内田建設AC
2023年6月3日
月刊陸上競技 記録参照 [ 17]
高校歴代10傑
※王迪の記録は高校国内国際記録(WHR)
五輪・世界選手権における日本人入賞者
1924年パリオリンピックで織田幹雄 が6位入賞し、1928年アムステルダムオリンピックでは織田がこの種目で優勝し金メダルを獲得。1928年の同大会から1936年ベルリンオリンピックまで日本人男子選手が3連覇を達成した。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
三段跳 に関連するカテゴリがあります。
トラック競技
フィールド競技
混成競技 ロードレース
オフロードレース
※太字 はオリンピック・パラリンピック・世界選手権大会実施種目、斜字 は性別を限定する実施種目